コンセプト

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100年先も、やさしく寄り添う

涼しく、ぬくもりある、自然からの贈り物

そっと触れてみる。
やわらかく、弾力のある手触り。
身をゆだねてみる。
やさしく包まれるような安心感。

50年先も、100年先も、ずっとあなたのそばに。

100%天然素材のラタン(籐)を使った今枝ラタンの製品。
伝統の手仕事で、一つひとつ丁寧に仕上げます。
ラタンとともに暮らす生活、はじめてみませんか?

今枝ラタンの歴史

創業

一宮で創業

昭和10年(1935年)、籐を使った椅子の製作・販売業として創業いたしました。ところが、日中戦争により、原料である籐の確保が難しくなります。国内にある在庫を買い集めながらも製作を続けていましたが、他ルートの材料入手の必要性を感じていました。

台湾からの
輸送

初代の挑戦

昭和15年(1940年)。台湾に良質の籐があると聞いた初代社長は、知人もいない台湾へ向かいます。頼りになるのは、向かう船のなかで乗客から得た情報のみ。手探りで人脈を作り、その数ヵ月後、台湾からの籐を仕入れるようになりました。

戦時中

食糧配給と乳母車の関係

その頃、日本では乳母車の需要が伸びていました。食糧配給により、重いものを運ぶ道具として使われたのです。当社でも職人を増やして乳母車を製作。籐の代替えとして、国内産の柳も使用しました。これは今枝ラタンの主力商品となりました。配給制度がなくなるとともに、乳母車の需要も少なくなっていきます。

戦後

時代を読んだ商品展開

戦後、家具店やデパートが誕生し、当社の取引先のひとつにデパートが加わりました。籐製品に加えて、目を付けたのは座椅子。当時、籐製品は夏限定の納涼商品という位置付けでした。そのため、年間を通して販売できる商品として、デパートでの座椅子販売をスタート。テレビや電気こたつの普及というタイミングもあり、ヒット商品となりました。

籐加工用ボイラー
を日本初設置

昭和40年(1965年)、籐を加工するためのボイラーを日本で初めて設置導入しました。
当時、シンガポールの日本領事館の方が、ボイラーの視察に来訪するなど話題となりました。

インドネシア工場
のはじまり

昭和63年(1988年)、インドネシアの国策として、籐の原材料輸出が禁止となります。
これに伴い、台湾で25年間技術提供を行ってきたノウハウを活かして、インドネシアに自社工場を設立。現地での人材教育にも力を入れて立ち上げました。

宮内庁への
納入

優れた品質の製品を展開していたことが広く知れ渡り、宮内庁の目に止まりリビングセットの注文を頂きました。納入した製品は現在も使われています。

宮内庁への納入
現在

日本のよきものを新しい世代へ

商品ラインナップも増え、現在では200以上のアイテムを揃えています。そのすべてを手作りでお届けしております。材料確保の問題などで、当社のように籐製品を製作する企業は少なくなっています。「籐のよさを広めたい」「日本の技術を生かしたい」という思いで、高品質のものを発信し続けます。

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